獄寺は、その日を始めては知らなかった。
周囲の女子共が騒ぎ立つのはいつものことであったが、今日はよりうるさかっただけのはずだったのだ。
朝、ちょっとそわそわしている様子の10代目をご自宅までお出迎えに行き、そしてなぜか野球馬鹿までそこへと加わり学校へと向かうことになる。
そして、変化が起きる。
10代目の後ろを警護するように歩いている自分とは違い、ちょっと前方を歩いていた山本が最初のターゲットとなった。
校門あたりをうろちょろしていた同級生と思われる女子が、勇気を振り絞った様子で、山本に小奇麗な包みの箱を渡したのだ。
「サンキュな。」
あ、と直ぐに意味がわかったらしく、山本は軽く礼を言ってそれを受け取っていた。
「やっぱり、凄いね。山本は。獄寺君も頑張ってね。」
ツナはその様子を感慨深く眺めてから寂しそうに言ったが、獄寺は何を言われているのかよくわからなかった。
その真意をツナに聞き返そうとした次の時には、獄寺は瞬く間に女子共に囲まれていたのだった。
「「「獄寺君。チョコレート、受け取って下さい。」」」
大まか、こんなことを言われたような気だけはする。
意味がわからなくて、そんな怪しいもの受け取りはしなかったが、口々に言われる言葉から何とか推測が出来た。
どうやら、日本には2月14日のバレンタインに女性から男性へとチョコレートを送るという、チョコレート業界の策略が渦巻いているらしい。
こんな騒ぎになるだなんて、バレンタイン司教もいい迷惑だろう。
日本の文化はある程度知っていたつもりだが、こういう俗物的な物は気に止めるようなことでもなかったので、言われるまで忘れていた。
ということで、獄寺は「興味ねぇ」の一言で全てやってくる女子をスルーした。
靴箱の中やら机の中やらに勝手に入れられても、邪魔なので端へ避ける。
「獄寺…人の好意はもらっておくもんだぜ?」
見かねた山本がそう言ってきたが、今更同意をするような性格をしている獄寺でもなかった。
その後、毎度おなじみツナの家に押しかけた獄寺には漏れなく不幸が待ち受けていた。
本人は好意だと思っている、ビアンキによるポイズンクッキングの餌食となった獄寺は、その場にノックアウトしたのだった。
それが、獄寺にとってのバレンタインという日の思い出に終わるはずであった。
初めてのバレンタインを知ってから、10年。
今日もその日が来る−−−来てしまう。
ボンゴレ10代目の右腕として責務を全うする獄寺にとって、いまやありとあらゆるイベント毎など、記憶の彼方にありつつあった。
ここのところ、拠点としている日本支部にいることは殆どいなく、諸外国への出張ばかりであったことも理由の一つとなる。
ようやく腰を落ち着けるようにと、帰国して自室に戻ってきてみれば、未決済の書類の山が待ちかねていた。
火急な物は電子関係で逐一処理していたが、後回しに出来るものは放置してしまっていて、少々情けない。
一応スケジュール的には今日は休日ということになっているのだが、性格的にも仕事をしていないと気がすまなくあったので、机に座り続けることになったのだった。
頭を使うのは別に嫌いでもないしどちらかというと得意な部類にはいるのだが、久しぶりなデスクワークはゆっくりと出来るようなものでもなかった。
もう少し使える部下でもいればいいのだが、人を育てる行為があまり得意ではないので、改善点の一つとして時間のあるときにでもじっくり上げなくてはいけないと再認識していた。
扱いきれないほどの数であった、書類を一通り片付けた後は、電子書類へとうつることとなる。
全画面ディスプレイで広く視野をとって、いくつかの用件をまとめてさばいていく。
ピーッ
ようやく区切りがつきそうだなと思った夜、集中していた獄寺の耳に機械音が入った。
これは獄寺の部屋に誰か人が訪れたということを示すインターフォンであった。
ピッと画面を切り替えて、往来した人物を目視すると、獄寺はすぐさま座席を立ち上がった。
一つしかない扉へと近づき、素早く開ける。
「10代目、どうかなされましたか?」
慌てて対応した先には、獄寺のボスであるツナがいたのだった。
「あ、ごめん。邪魔したかな?」
眼鏡片手で出迎える獄寺の様子を見て、ツナは言葉を発した。
「そんなこと全くありません。どうぞ、お入り下さい。」
慌てたせいで、優雅とは少々いいにくい仕草で、獄寺はツナを自室に迎え入れた。
処理済の書類が山になっていた、ガラステーブルからそれをどかし、あまり人の座ることのすくない黒いソファへと導く。
残念ながらお茶などという気のきいたものが常備している部屋ではないので、ツナはそこの前で立つ結果となった。
「わざわざこちらにいらっしゃるなんて…ご用があるなら、お呼び下されば直ぐにお伺いしますのに。」
ご足労してもらうという自体に、獄寺は申し訳ない気持ちでいっぱいになる発言をした。
「今日は…ボンゴレ10代目としてではなく、沢田綱吉としてここに来たから。受け取ってくれる?」
そう言って、ツナは獄寺へと向けて、シンプルなラッピングの包みを示した。
しっかりと持っているからこそ、その手は震えて仕方がないのだ。
長ったらしい前書きなんてない。
その想いは唯一つなのだから。
ここでようやく獄寺は今日が、街中が甘い活気に包まれる今年も当たり前のようにやってきたバレンタイデーという日だったことを思い出す。
若かった日本での学生時代に、嫌々過ごした日々が走馬灯のように駆け上がった。
好意を持つ相手へと渡すチョコレート。
ツナが獄寺へと示したのもまさしく、それと思われる様子であった。
「すみません、10代目。受け取れません。」
深く深く頭を下げて、獄寺はそう言った。
しかし、獄寺は受け取らない。そぶりさえ見せることはない。頑なに。
いつまで経ってもそれだけが続く。
おじぎと言うものは便利なものだ。
なんと言ってもこの瞬間だけは、このお方の顔を拝見しなくてもいいのだから。
皆に平等に与えられるというものならば、獄寺は喜んで受け取っていただろう。
それは親愛する10代目からもらえるものなのだから。
でも、一人だけの特別は許されるものではなかった。
心よりの信頼をされているとはいえ、自分はあくまで、ただの一部下にすぎないのだから、その境界線を越えることはないのだ。
「毎年…困らせて、ごめんね。これはオレの自己満足みたいなものだから、獄寺君は気にしなくていいから。」
お返し出来るものが何もありませんから。と、10年前に初めて獄寺にチョコレートを渡そうとした時、そうやって断られた。
それから毎年、こりずにツナは渡そうと試みていたが、結果は散々だ。
彼の心は動かない、揺るがないのだ。
これで、何度目のバレンタインだろうか………
そして、また今年も受け取ってもらえなかった。
多分、来年も…これから先も……受け取ってもらえることはないだろう。
わかっていてもツナは、それを繰り返す。
ずっとそれでも、好きなのだから仕方がない。
彼の心の一部を蝕むだけは、許して欲しかったのだ。
さようなら、バレンタイン
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