ぼうっと空中で燃え上がる紙々…
それをもたらしたのは、利き腕である右手から発生したオレンジ色の炎だった。
インクの載っていた紙はやがて灰になり、炭素になり、やがて跡形もなく消えゆく。
その繰り返しを、プリーモは何度も何度もしていた。



「プリーモ。燃やすなよ…」
そんな声がかかったのは、プリーモの執務室の扉近くからであった。
無造作に開かれた扉の横で、セコーンドが腕組みをしながら言ったのだ。
「ああ、すまない。一応気を付けてはいるんだが、火事になったら大変だったな。」
ばさりっと手に持っていた書類の数々をプリーモは一旦、机の上に置いた。
可燃性は考慮しているが、確かに言われたとおりここで燃やすようなものでもないなと思う。
機密書類だから目の前で処分したのだが、この場所…ボンゴレボスの部屋が焼けては意味がまるでない。
「そうじゃない。別に処分しなくてもいいと言っているんだ。本当に引退する気なんだな。」
少し眉間にしわを寄せながら、改めてセコーンドは尋ねた。
マフィアボンゴレが設立してそんなに驚くほど年数が経過したわけではないというのに、ある程度の組織になりライバルマフィアを退けて安定が図られた瞬間、プリーモはセコーンドにボスの座を譲ると言ってしまったのだった。
セコーンドと言われるようになったのも最近で、そう言われるのはまだ慣れない。
呼ばれ始めたその名称をプリーモは必要に強調してきた。
確かに血縁関係はあるし、プリーモ自身に何かがあったら、自動的にセコーンドがその座についていただろう。
だが、プリーモは健在でまだ若いというのに、あっさり自ら築いた地位を捨ててしまった。
誰もが、なぜだと思うしかなかった。
「もう戻ってくるつもりはないからな。私の物が部屋にあっても邪魔なだけさ。」
ここはボンゴレ本部のボスの部屋として作らせたのだから、片付けるのは当然だとプリーモは言う。
ボンゴレプリーモとしての最後の仕事が部屋の片づけというのは随分平穏安泰だと思うから、少しくすっと笑うくらいだ。
部屋を明け渡すことで、肩の荷も下りる。

「行くのか?ジャポーネに。」
イタリアからは程遠い地の名をセコーンドは出した。
全く未知の地というわけではないが、確かエド…という都市がある東洋に行くと告げられた時は、大層驚いたものだった。
マフィアとして手広くボンゴレは各国に触手を出しているが、さすがに彼の地は許容の範囲外でもあったから。
「ああ。船のチケットも手配した。明日、出立だ。」
ピッとチケットを上着の内ポケットから出して、軽く示した。
「早いな。」
もうそこまで準備していたのかと、少しセコーンドは呆れた。
あれだけの苦労を重ねてボンゴレを作り上げたと言うのに、あっさりと手放すなんて、肉親とはいえ昔からジョットという男を読めないでいた。
「…そうだ。これをまだ渡していなかったな。」
思い出したように、プリーモは引き出しから両手に乗るほどのケースを取り出し、そのままセコーンドに手渡した。
見目より軽く思える黒いケースの、ふたを同時に開ける。
「これは…ボンゴレリングじゃないか。」
嵐・雨・雲・晴・雷・霧のリングが完全な形で揃っているのを見て、セコーンドは声を上げる。
こうやって一同に見るのは初めてのことであった。
平時は各々の守護者が持つものであり、ハーフボンゴレリングの形を取ることで何かあったときの危機を回避することさえできるのだから。
「ああ、私の守護者から返してもらった。そして、これも…」
そう言って、プリーモは自らの指にはまっていた大空のボンゴレリングを引きぬいて、中央の位置に入れ込んだ。
これで、全てが揃ったボンゴレリングケースを手渡すこととなる。
「いいのか?」
ボンゴレリングにどれだけ強大な力が宿っているか、それをセコーンドはこの目で見てきた。
その全てを受け継ぐことは、本当の意味でのプリーモの引退を意味する。

「そうしなくては、いけないのだよ。どうか、未来につなぐ継承をして行って欲しい。」
珍しく切願するようにプリーモは頼んだ。











地中海の海は、荒立つ波が少なくとても静かだった。
それでも賑やかなのはここが往来の激しい港で、旅立つ船が何艘も接岸しているからであった。
海を渡るのは船だけではなくカモメなどの鳥たちも騒がしく空を飛び立つ。

「ここで、いい。」
そうプリーモが言うと、キュッとタイヤが止まる。
わざわざ見送りの運転手役として自らを買って出たセコーンドに、港から少し離れた場所で車の静止を求めたのだった。
ここから先、ボンゴレは関係なく、プリーモはただの旅行者の一人として眼前の船に乗ることとなる。
「全く…まるで追いだしたみたいじゃないか。」
さほど大きくもない黒革のスーツケース一つだけを持って、車を下りたプリーモの姿を見て、セコーンドは情けないなと声を出す。
望めば船を貸し切ってジャポーネへ送りだすことさえ簡単にできると言うのに、全てを断ったのはプリーモ自身であった。
聞けば、ジョットという本名でさえここで捨て行って、まるで第二の人生を歩むようにも思えた。
「別にそう思われても構わないさ。私の消息を書き残すことでもあったら、セコーンドが怖くてジャポーネに逃げたとでも書いておいてくれ。」
もう血縁と呼べるのもセコーンドしかいないから、なるべく自分の痕跡は消したつもりだった。
自分をまだ必要とするような軟なマフィアボンゴレにしたつもりはなかったから、セコーンドに任せておけば大丈夫であろうという安心の言葉でもあった。
「最後までふざけていると、それを事実にするぞ。全く…面倒事ばかり押し付けて。」
あくまで笑うプリーモを見て、あきれながらセコーンドは言った。
結局、二人の勝負の決着もついていないのだから。
「それは、すまないと思っているよ。」
マフィアのボスとしてこれから巻き起こることは、死んだ方がマシということも多いであろう。
それでも任せられるのはセコーンドだけであったから、頼んで、安心できた。
「ジャポーネに、当てはないんだろう?何かあったらいつでも戻って来いよ。」
確かにマフィアを抜けるということは不可能に近い。
ボンゴレボスとして設立者としてあったからこそ、プリーモにだけは許された我が侭でもあった。
オメルタだけは守りぬくとはいえ、行く場所はマフィアのあるアメリカでもチャイニーズでも許されはしないだろう。
ジャポーネだからこそ、周りの幹部もしぶしぶ認めた節はある。

「それは大丈夫。楽しく暮らすさ。」
未来予想図を簡単に口にするように、プリーモ楽しさを示した。
「いつも思うが、おまえはまるで未来が見えるような口ぶりをするな。」
いつからであっただろうか。
遥か昔はそうではなかったかもしれないが、彼が大空のボンゴレリングを手にしてから少し変わったような印象を受けた。
人格とか性格とかそういった根本なところはかわっていないが、リングを眺めて何かを思う時間が見受けられるようになったのだ。
こうなることがわかっていたように、全てをプリーモは推し進めてきた。
そして最後のこの時も見据えていたかのように。



「ああ、そうだな。子供が出来るから、そしたら連絡くらいはするさ。」
目を細めてふっと笑って、プリーモは肯定をした。
名残惜しく髪を引っ張るのは、思いが伝わる一つのリング…












蒸気の白い煙を幾重にも吐き出しながら、船は出港する。
これから中央アジアの港をいつくも経過して、乗り換えて最後の地であるジャポーネを目指すこととなる。
見ることが最後となる生まれた地であるイタリアを、甲板からプリーモは眺めていた。
大空のボンゴレリングがないことだけが、唯一物寂しいことだが、あれが継承されなければ、目的の人物に出会えないので我慢する。

「早く会いたいな、ボンゴレデーチモ。沢田綱吉………」
そのつぶやきを聞き取れる人物など、周囲にいる筈がなかった。
これから自分は、ジャポーネで一人の女性と出会い、結婚をして子供を作って…系譜が紡がれる。
そして、やっとここではない場所で彼に出会える。
大空のボンゴレリングの不思議な力でそれが見えたと、言ったらおかしいだろうか。






「さあ、私のために生まれておいで。」

それが、遠い楽園という未来へ繋がっていった。













エリュシオン

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