「あくまでも部下ですから獄寺とお呼び下さい。」

それだけは聞いてあげることは出来なかった。
たった一つの我が侭を。
だから、オレも………





そうして、古びた辞書からにじみ出た記憶は終わりを告げた。
短時間とは言え、記憶が走馬灯のように駆け巡ったのだ。
過去に囚われるだなんて、最近のツナにしては珍しいことだったのかもしれない。
まほろばの回想によって導き出される道はない。
取り返せない過去があるからこそ、今のツナと隼人の関係が不安定に成り立っているのだ。
10年という歳月が経ても、均衡はどこまでも危うく目に映る。
唯一、ボンゴレ10代目とその右腕としての間柄があるからこそ、二人が側にいることが成り立っているのだった。

目の前にひざまずく隼人は、神聖ブラッド・オブ・ボンゴレを口にしている。
愛おしい血をすすることを隼人自身はどう思うのか、決して言いはしないだろう。
この行為に深い意味なんてないけど、ツナは強制させたのだ。
真新しいとはいえ、辞書の紙で裂いた程度なので血自体は直ぐに止まった。
やはり想像通り、痛みなんてない。
ツナが少し指を引く動作をすると、ぴちゃんっと静かな部屋に僅かに響く水音が耳に入る。
隼人は順応して唇を軽く離したが、そのまま肩膝をついたまま頭を上げようとはしない。
「隼人。」
望まないその名を呼ぶと、少しだけ身を上げて、隼人の綺麗な瞳がこちらを向いた。
もの寂しそうに訴えることはわかったが、聞いてはやらないと、暗く見下げる。
ツナの目の前でしかこの動作を見せることはないけど、やっぱり似合わないと思う。
「10代目。やはり、手当を…」
添えた左手を保ったまま、隼人は進言する。
その許可は下りていないから、体制はそのままだ。
「別に平気だよ。それより…本を片付けるの手伝ってよ。」
本当はそんなことはいつでもよかったけど、この場を離れたがっている隼人を無理にでも留めるためにツナはそう言った。
黙っていたら、医務室へ道具を取りに行ってしまうだろうから、それだけは嫌だった。
ツナは、本棚から取り出された数々の分厚い本に一応の目くばせをする。
それに指はもう本当に大丈夫なのだ。
口実にしかすぎない物は、もうどうだっていい。
それがたとえ自分の体でさえ。
「わかりました。」
立ち上がって隼人は、無造作に机の上に置かれた書籍を分け始めた。
ツナが棚から出したときは場所ごとに並べていたわけではないので、山は適当に積み重なっている。
改めて整理と区分をしながら本棚に戻していった。

手が離れて、その横に少し位置を移動したツナは、隼人が見つけてくれた懐かしの辞書と改めて向き合っていた。
古い記憶はここから醸し出されたもので、かつての学生ながらの使い方をしていたので少しへたれている。
一応当初の目的である調べ事をざっとこなすと、もうこれに用はなかった。
それほど長く接していたわけではないのに気が付くと、隼人による本の片づけは終わりが見えていた。
さすが、手早い。
最後の本を組み入れて、一番大きいガラスの戸棚をパタンッと閉めようとしていた。
「待って、これを。」
完全に戸棚が閉まりきる前にツナは、あの辞書を隼人の目の前に示した。
「もう使い終わりましたでしょうか?」
先ほど横目でだが、ツナが辞書の内容を確認していたのは見ていた。
この辞書も片づけてほしいという命令かと思い、隼人は聞き返したのだった。
「違うよ。まだ、さっきの答えをオレは聞いていない…この辞書のこと、覚えてるでしょ?」
少し前にツナが言った、『あの時からだったよね…』とい言葉を具体的に指摘した。
ツナなんかより何倍も記憶力の良い隼人が覚えていないわけなんてないとわかっていたから、口からきちんと言わせるためのわざとでもあった。
叩きつけるようにある辞書を目の前に、隼人は少し目を細める。
「…はい。覚えています。」
黒表紙の辞書…何度もツナの側にあるのを見た。
リボーンによる修行から始まった一連の出来事は、最初は多少の問題があったものの概ねは普通だったと思う。
ツナに向けられる修行というのは初めてではなかったし、いつもどおりお役にたてればいいと思って誠心していた、あの頃。
変わったのは、ツナがあまりに自分に対して心を開いてくれて、それが核心へと移った時だった。
だから、最後は拒否を選んだ。



「もう、あれから10年も経ったんだよ。まだ、答えは変わらないの?獄寺君。」
かつてのように名前を読んであげる。
それは、隼人がかつて、そう望んだから。
でも、こちらは受け入れてもらえなかったから、結局ツナが獄寺君と呼ぶことから隼人と呼ぶことに切り替わったのは案外早かった。
それからずっと突き刺さるように「隼人」と呼び続けている。
「オレにとって、10代目は10代目です。それ以上でもそれ以下でもありませんから。」
また隼人は同じ言葉を繰り返した。
問われても同じことを言えるようにしていたのだから、一文一語変えずに目をつぶってでも言うだろう。
あくまで、特別になりたいわけではないと示し続ける。

「オレは隼人が好きなんだよ。」
好きだ。
愛している。
いくら繰り返しても届かない…何度も繰り返した言葉をまた口にするツナ。
言葉が伝わらない。
伝わっても受け止めてもらえない。
右腕の地位でも何でもあげるからと切願しても、何も求められない。
本当に欲しいものこそ手に入らないものなのだ。
ツナは、隼人にぎゅっと抱きつくが、抱きついても抱き返すことはない。
受け止めるだけで、何も握られることはない。
もし、態勢崩れてツナが倒れるようなことがあれば、抱きとめてくれるのだろうけど、それはあくまで右腕としての最低限の行為以外の何者でもないだろう。
「申し訳ありません。」
悲しさを前面に押し出す事さえ許されない隼人は、ただ頭を深々と下げるのみだ。
忠誠と忠義の上に成り立つ、ボスと部下という、それだけの関係なのだから。
守護者は平等で特別は許されないからこそ、負担になるような付け込まれる要因を作ってはいけないと思っている。
平伏するほどの服従はしているが、ゆるがなすぎる忠誠から切り替わることは決してない。
あくまで尽くすだけであり、ツナがどんなに望んでも変わることないのだ。



「その答えは聞き飽きたな。もう、寝たい。眠らせてよ、君の腕の中で…」
尊敬と信頼は似ているようで違うのだ。
そんなものが欲しかったんじゃないのに、頑なに心だけは手に入らない。
連れていって…と隼人に違うことを求めるしかない。
隼人とは逆に変わってしまったツナは愛を求める。
だからこそ、決して相容れない。

「…10代目、オレは。」
引きつる声の理由は、隼人には後の流れが連想出来たからである。
苦痛に躊躇うが、結局は。








ああ、何度この命令をくだしてきただろうか。
隼人はツナを抱きあげて、そのまま天蓋のついたベッドに運ぶ。

たった一つだけ、隼人はツナの命令を聞かない。
命令されればどんなことでも聞いてもらえるはずだった。
自発的に愛はささやかないとはいえ、義務だから義理で抱くこともしてくれる。











『綱吉』と呼ばない。
それだけしか許していない。

犬は犬のまま。
絶対忠誠の成れの果てが、ここにあった。













絶対忠誠 10

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