使い古した辞書が迎えてくれて、ぱたんっと手を下ろすことを許された。
君にもありがとう。





天気の良い日曜日の午前中。
補習などという野暮なものもないので、もちろん健全な休みの日だ。
アウトドア的な性格をしていないツナにとって日曜日という日は、ランボ・イーピンというチビたちの相手をするという命令が下らなければ自室にいることが多い。
今日もその通りに過ごすべく少し遅い起床をする筈だったのだが、頼んでいた先約が来たので早く起きることとなる。
「10代目。ここの文法の意味は、さっきの説明でわかりましたでしょうか?」
シャーペンの先で問題の場所を示しながら顔を少し横にして獄寺が尋ねる。
これは、少し悲しや悲しだ。
ほとんどイタリア人である獄寺に国語の文法を聞いてしまうのは日本人失格かもしれないが、わからないものはわからないのだから仕方ない。
散々今までも頼んできたので、恥と外聞はとりあえず横において、ツナは目の前の宿題に集中することとなる。
「うん。わかりやすかったよ。それで、ここの解釈なんだけど、オレはこう思うんだけど…」
今は数をこなすことを求められているので、ツナは直ぐさま次の問題に入る。
あくまで聞きっぱなしでは、獄寺に対して失礼なので、きちんと自分なりに考えた浅い答えも合わせる。
それが合っているのか間違っているのかというのはかなり微妙なラインだが、何もしないよりはマシというレベルだ。
学校の授業は金曜日で終わったと言うのに、日曜日まで宿題に追われているのは、昨日までリボーンから与えられたイタリア語の修行が続いていたからだった。
ようやく試験に合格をして、ほっと一息ついたのもつかの間、きちんと宿題をこなさないとまた別の意味で無残にもリボーンに銃を向けられる結果となってしまう。
結局、引き続いて獄寺にお願いをして手伝ってもらうという形になったのだった。

「ツっー君。ちょっといいかしら?」
そんな声が階段下の扉の向こうからさしかかったのは、ふうっとようやく宿題のかたがひと段落ついた時だった。
「なあに?母さん。」
ペンをテーブルに置き、ツナは背中を向けていた扉の方に身体を動かすと、返事を受けたことで扉がガチャリと開いた。
そちらから現われたのはやはりエプロン姿の奈々で、トレーを手にしている。
その上に乗るのは、追加のグラスとジュースにツナが好きなスナック菓子を中心とした菓子の盛り合わせだった。
丁度終わった教科書とノートをカバンに戻したところだったので、空いたテーブルの真ん中にトレーをコトンッと奈々は置いた。
「どうぞ。食べてね。」
「ありがとうございます。お邪魔しています。」
改めてきちんと正座をして獄寺は頭を下げた。
必要以上に深々としてしまうのは、その相手が尊敬するツナの母親だからだ。
ツナとリボーンと奈々以外の相手には、獄寺の態度はとことん適当なので、ある意味いつもの光景でもある。
「邪魔だなんて、とんでもない。ホント、獄寺君のおかげでツっ君が勉強するようになったから助かっているのよ。それに何かと最近は獄寺君、獄寺君って………」
「母さん!もー勉強の邪魔だから出て行ってよ。」
このままいつもの調子で話しを続けると何を言い出すかわからないので、ツナは慌てて奈々の口を遮って誤魔化した。
確かに夕食などで獄寺の話はよく出すが、それは本人がいないから言える部分も多々あって、改めて言われると恥ずかしいものなのだ。
「はいはい、わかったわ。母さんは、ランボ君とイーピンちゃんとフゥ太君を連れてデパートに行ってくるわね。リボーン君とビアンキちゃんはデートに行っているから、もし出かけるなら戸締りには気を付けてね。」
流れるようにそう言うと、奈々は残ったグラスを手早く回収して退室して行った。
もちろん、ごゆっくりねーという言葉は忘れずに。
トントンと規則正しい足音が階段を下りて行くのが聞こえる。

「ごめんね。いつもうちだと騒がしくて。」
あんまりゆっくりじっくり勉強するには向いていないなぁとやっぱり思い、ツナは謝る。
特にこの部屋は普段なら何かと人の出入りが激しいものだった。
頼んで勉強を見てもらっているというのに、受験生というわけでもないので、周囲はかなり自由だ。
「いえ、そんなことありません。大体、リボーンさんはともかく、アネキを初め他のヤローは勝手に居候しているんですから。」
「ははっ。でもまあ今日はみんな出かけたみたいだから、これでゆっくり勉強が出来るね。」
少し枯れた笑いを示しながらツナは言う。
本当はリボーンの居候も相当迷惑なんだが、言わない。というか、言えない。
しかし、いつもは相当騒がしいが、珍しく皆が出かけて…今は二人っきりか。
変に意識するのは先ほど奈々が余計なことを言ったせいだと、ツナはぶんぶん頭を振った。
獄寺相手に無意識な筈が変に意識しているのは、自分だけなんだろうけど。
「はい。頑張りましょう。宿題の方は終わりましたけど、どうしますか?」
本当ならば予習や復習をするべきなのだろうけど、あまり馴染みがないので改めて獄寺は聞いた。
「うーん。一応試験は終わったけど、まだイタリア語で自信がないところがあるから、教えてくれる?」
改めて勉強しなくてもいいとは言えリボーンのことだ、用心するにこしたことはない。
あくまで極端な方法をとられなくなっただけなのでこれからも、小まめな勉強は必要だと思っていた。
「もちろんです。」
そう言うと、うきうきしながら獄寺はイタリア語の勉強道具を取り出す。
習慣化してくるイタリア語を節々にツナが使ってくれるなんて、素晴らしいことだ。
別にイタリア語を贔屓するわけではないけど、やっぱり母国語は好きなので、ツナがほがらかに声をかけて気にかけてくれることが嬉しかったのだ。
「じゃあ、基礎がもう一回おさらいしようよ。」
ツナの方もイタリア語の辞書を棚から持ってくる。
思い起こせば、最初にぽーんとリボーンから手渡されたこの辞書とのお付き合いも長い。
最初は何が何だかわからなくて戸惑っていたばかりだったので、こうやってゆっくりとした時間の中でイタリア語を学ぶのは始めてだ。
ついでに片方がイタリア語オンリーでなくてもいいことで、余計にスムーズにコミュニケーションが図れた。
勉強越しとはいえ、自然に話が出来るって何て素晴らしいことなんだと改めて感じた。
獄寺とすればイタリア語でも日本語でも苦がないのだろうが、やはりツナとすると慣れている言葉の方が断然色々と伝えやすいのだ。
だから今までニュアンスが微妙だったので、なかなか聞けなかったことを改めて聞きなおす良い機会だった。

やっときちんと会話が出来るね…とそう言いたかったのに、、、
変化は訪れる。





「そういえばさ…日本では仲の良い友達でも苗字で呼ぶことが多いんだけど、イタリアだとどうなの?」
それはあまりにもふとした疑問だった。
互いにイタリア語オンリーだった時から微妙にすれ違っていたことだが、気軽な友達同士の会話なんて辞書にもどこにも載ってはいない。
リボーン相手にしたイタリア語でも、完全なタメ語も使っていない。
だから今まで、ツナは獄寺のことも日本と同じようにいつもどおりに呼んでいた。
親友である山本武相手には、山本。年上と思われる雲雀恭也相手には、ヒバリさん。と言うように、呼びかけには苗字を使うのが一般的だった。
大人ランボが登場すると、ツナのことをボンゴレと呼んだりされたが、そもそももしボスの座を継ぐとしてもボンゴレはツナの苗字ではないのでまた呼び方が違うのかなと思っていた。
「そうですね…こっちでは、ファーストネームを呼ぶのが主流ですかね。」
少し考えた後に獄寺はそう答える。
日本ではファミリーネームの方を重んじる傾向にあるらしいが、イタリア…ヨーロッパ諸国では、ミドルネームに母親のファミリーネームを入れたり爵位を入れたり色々とあるし、フルネームの解釈も時と場合によって違ったりするので、基本的にはファーストネームを尊重することが多かった。
事実、獄寺自身も、リボーンを除くとイタリア出身者からはファーストネームである隼人と呼ばれることが多いのだ。
「でも、獄寺君って、イタリア語の時でもオレの呼び方変わらないよね。何で?」
ボンゴレ10代目…それは変わりを告げない。
それだけはずっと疑問に思っていた。
イタリア語でも意味を知っても、「10代目」という呼びかけは同じだったから。
「まさか。恐れ多くて、呼べません。10代目は10代目です。それ以上でもそれ以下でもありませんから、ボンゴレ10代目とお呼びします。」
あり得ないことだと揺るぎない尊敬の証を示して、獄寺は言った。
ファーストネーム、ファミリーネームどころの問題ではない。
沢田綱吉は獄寺隼人にとって、ボンゴレ10代目以外の何者でもなかった。
「…何、それ。だったら、オレがボンゴレ10代目にならなかったら綱吉って呼んでくれるの?」
明らかに拒否をされて、ツナはムカッとしたから、そう言ってやる。
友達のようだと思っていて、その先もおぼろげに見えたというのに、この関係が続くだけなのだろうかと、何だか裏切られたようにも感じた。
「それでも…あなたが尊敬に値する方に変わりはありません。」
困った質問をされたが、それでも的確に獄寺はすらすらと言葉が並べた。
ただツナの不機嫌だけは感じ取ったので、同時に深々と頭を下げた。
「命令しても?」
「駄目です。許されない。」
「オレが許すって言ってるんだよ。」
「それでも、です。」
単純な言葉の応酬が続いても、獄寺の意思がねじ曲がることはなかった。
それが忠誠の下の命令であっても、彼は変わらなかったのだ。
この場限りでも無理を貫き、かしこまって訴え続ける。
おそらく、ツナが何も言わなければずっと頭を下げ続けていただろう。
歩み寄れたと勝手に勘違いしていた、ツナは自分だけが情けない。

「好きだよ。オレ、獄寺君の声が好きだったんだ。」
獄寺君って呼ぶのも久しぶりだ。
名前を呼んでもらえはしないけど、オレの方を見てきちんと10代目と言ってくれる。
だから、名前を呼び合うなんて、夢のまた夢。
「もういいよ。右腕として居てくれるだけで。」
気持ちを押し付けて何も変わらない。
命令で無理やり呼ばせることは簡単なのかもしれない。
でもそれは、死んでと命令してためらいなく実行する獄寺を見るのと一緒だった。



すっと一線が引かれた。
そのままだった。
それきりで、それで十分だと、歯車が壊れてわかった。








それが、未来へ続いて、終わることを知らない。













絶対忠誠 9

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