「デーチモ。いけない子だね。またここに来てしまったのかい?」
優美な装飾の成された誇り高い椅子に座っていたボンゴレT世は、少し困った様子で来孫の姿を見てそう言った。
組んでいた足を崩してから立ち上がって、突っ立っているツナの元へと歩く。
一歩歩みを進めれば、駆け抜ける透き通るほど蒼い大空を背面にすることになる。
ここはボンゴレ大空リングの世界であった。
継承を受けた歴代のボンゴレボスにしかたどり着けない未知の場所。
「だから、あまり頻繁にここに来ては駄目だと言ったんだ。これで、わかっただろう?結末を…」
無言のツナに近寄ると、そっとプリーモは告げた。
この場所にはツナでさえ意図して入り込むのは困難で、たまの夢の中で願って入れる程度であった。
それでもツナが来たいと何度でも祈ってしまうのは、ここにくればプリーモに会えるからであった。
何も知らなかった中学時代ならそんなことも考えなかったと思うが、リボーンが来て全てが変わって十年という歳月が流れた今、ツナの周囲は瞬く間に移り変わった。
死ぬ気という剣と守護者という盾を得たが、失ったものも多い。
やすらぎを得たくとも、次期ボンゴレ10代目として周囲に弱音を吐くわけにもいかなかった。
守護者はもちろんとして、父親はボンゴレ門外顧問に所属する身だし、母親は未だに父親の意向でマフィアのことを隠し通しているため詳しい話をするわけにはいかない。
そんな中で、プリーモこそ唯一の心の置ける肉親であった。
何度も重ねる逢瀬の甘さに酔いしれるのは簡単なことであったから、それも終わりを告げる。
「やはり、あなたはこれを知っていたのですね。
マフィア間のリング争奪戦は想定以上に酷いものになりました。特に、ミルフィオーレファミリー………トゥリニセッテの一角を担うボンゴレリングは執拗に固執されています。」
ゆっくりと現状を語るツナだったが、本当は声が震えないようにするのが精一杯だった。
対して、想像していた通り、プリーモは動揺しなかった。
予めこうなることを知っていたのだ。
それが遠い未来なのか近い未来なのかという違いなのだろうが、かれこれ百年以上の時をここで過ごしてきたプリーモにとっては大したことはなかったのかもしれない。
「そう言われても、私には何も出来ないと、前々から言っていた筈だよ。」
一度、生を終えた自身は、現代に干渉してはいけないと思っていた。
だからT世を初めとする歴代ボンゴレボスがやったことは一度きり、継承の儀でツナを]世と認めて力を与えたことだけであった。
それだけが許された唯一のこと。
これからの歴史を作り上げていくのは、今を生きる人間が追う行うべきことなのだから。
「わかっています。でも…」
相談にのってもらえるわけでもないし、何もしてもらえないとわかっていても、ツナはプリーモに頻繁に会いに来てしまっていた。
おぼろげではなくはっきりと彼はここにいたから、最初は好奇心だった。
自分の祖先で始まりのボンゴレを作った人物がどういった人なのか知りたくて。
しかし、段々とプリーモはツナにとって特別すぎる存在となってしまっていった…
ただ、そこに隣に居てくれるだけで良かったのに、こんな結末を望むわけがない。
「最初におまえに会った時、私が言った言葉を覚えているね?それは今も変わらないよ。」
リングを継承した者が唯一行先を決められると、言い聞かせるように伝えた。
ツナ一人に罪を背負わせるつもりはなかったが、すまない…と。
たまたまツナの代にそれはやってきてしまったのだ。
『栄えるも滅びるも好きにせよ』
焼きつく鮮烈な言葉がツナの脳内にこだまする。
思えば、最初にこの言葉を受けた瞬間から、彼のことを決して忘れられない存在になったのだった。
やはり抵抗するつもりはないだな。この人は…
いっそ、叱咤されたほうがよっぽど気楽で、それをも許されないのだ。
「………わかりました。ボンゴレT世…オレはあなたを消します。」
実際のところ、言葉にするまで意を決する事なんて出来なかったかもしれない。
最後に泣いて無様な姿だけは見せないようにと、気丈にツナは声を発した。
告げを受けると、消え行くものの定めを受け入れるようにプリーモは寂しく笑った。
「よく決断したね、さすが私のデーチモだ。いつでもおまえを見守っているよ。近くからではなく遠くからになる、それだけの違いだ。」
褒めるように言葉を受けると、ツナの見ていた世界が急速に後退していった。
もう一片たりともここに甘えに来ることを許さないと宣言されるように。
卓上の空間とは違うリアルな、もう叶わない甘い夢は覚めてしまうものなのだと現実を思い知る。
夢のまた夢の世界だったのだ。
「プリーモ!」
最後にツナが掴み取ろうと伸ばした右手。
その先に得られたものは、何もなかった。
静か過ぎる地中海の水面。
ここに初めて足を運ぶ前までは暖かい印象があったのに、実際は意外と寒々しい。
それは季節的問題をも上回ったので、まるでツナの心情を映し出すような場所であった。
降り立った場所は、ボンゴレイタリア本部近くの海でシチリア島が眼前に臨める。
この場所を選んだ理由は限りなく因縁薄い。
望んだ場所が結局みつからなかったせいでもある。
現存するボンゴレT世に関する資料は驚くほど少ないのは、故意に抹消されたせいであろう。
そもそも早々に日本に渡ったこと時点で、イタリアに残されていた痕跡を無くそうとしたのがわかる。
かろうじてU世と血縁関係にあったことと本名ぐらいしか知らされていない。
夢の中で出会えたとはいえ、ツナが直接ボンゴレT世の生きた時代を知ることも叶わなかったのだ。
ざぁぁぁ
もうツナには、不定期にさざめく波の音と髪を撫でる穏やかな風の音しか入らなかった。
ようやく決心がついて、左手に掴んでいたリングボックスを開く。
各守護者が所持していたボンゴレリングは、もうない。
マフィアの抗争の種となるリングの破棄を命じたのは、他ならぬツナ自身であった。
守護者のみならず、本部ボンゴレ幹部の中からも賛成するものもいたが、反対するものもいた。
その全てを押し切って、悪く言えばツナの独断で破棄が決定したのだ。
争いを極力避ける事こそが、勢力が塗り替えつつあるボンゴレボスとして求められていることだったから。
ボンゴレリングの始まりの話をツナは知らない。
ただ、T世の守護者の時代からボンゴレにあったと聞いている。
ボンゴレを守るためにあったボンゴレリングが、ボンゴレを危機に陥れる結果となったことは皮肉にも聞こえるであろう。
そして、最期に一つだけ残しておいた大空のリングをボックスから取り外した。
ツナの手に握られている限りある物だ。
右手の二つの指で摘み上げたまま、手の平の中でぎゅっと握りしめた。
何度も何度も助けられた。力をもらった。
もう頼ることは出来ないのだ。
一番悲しいことは、このリングが無くなったら二度とプリーモに会うことはできない。
髪をなでてもらう僅かな感触も。
デーチモと呼んでくれるあの声も。
優しく見守ってくれたあの顔も。
全てを失うだけ。
躊躇うしかない理由があるのに、もうどうしようも出来ないのだ。
やがてツナの身はハイパー死ぬ気モードへと変わりゆく。
きつく握りしめた右手。
意を持って、炎の力を加える。
パキンッ
最期の悲鳴を上げるように、軽い金属の音が手の中で鳴った。
本当にあっさりと、粉々に砕け散った大空のリングは、一瞬で崩れ去った砂の城のようだった。
自らの手で砕くことが最期の…
今のツナに、こんなに脆かったのかと思う余裕はない。
儚さにゆっくりと指を開くと、僅かに残った星屑たちは風に迷い込むように乗り、地中海へと吸い込まれていった。
消える最期の瞬間は何よりも美しく気高く輝いた。
「さようなら。本当に好き…でした………『 』」
過去形になんてしたくなかった。
そしてツナは、許されない名を最期限りに呼んだのだった。
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