蘇る遠い記憶。
その辞書をリボーンから手渡された日を具体的には覚えていない。
なんといっても後に起きた騒動のほうが印象的で、辞書自体はきっかけの一つでしかなかったのだから。
「おい、起きろ。」
典型的な日本人の中学生を満喫しているツナの朝は遅い。
元々の性格もあり、出来る事なら始業時間の間に合うギリギリまで寝ていたいと思うくらいだ。
リボーンが来る前はぐうたらな生活をしていたし、いざ来たら来たで無茶苦茶なことを毎回言うので、出来るなら現実から背を背けるように寝ていたいと思っている。
昨日もたっぷりとリボーンの無理横暴をこなした後、好きなゲームや漫画をこっそり深夜にしていたので、寝不足気味。
そんな惰眠を決め込もうとしていた矢先に耳元にかかったリボーンの声。
セットしてある一度目の目覚ましが鳴る前という比較的早い時間に聞こえたので、ツナは最初また嫌な夢の一部かと寝ぼけていた。
それなので、うっかり無視を決め込んでしまったところが、命運のつきの始まりであった。
「オレに二度も言わせるつもりか?」
先ほどより低音な声がツナの耳に震えるほど伝わる。
これは不味いと、あっという間に頭が無駄にすっきりする。
はっとして、本能が危機を知らせたので、身体が勝手に急いで布団をめくった。
「やっと起きたか。」
やれやれと、ベッドサイトに仁王立ちしたリボーンがこちらを見上げている。
相変わらず赤ん坊とは思えない仕草だとツナは思ったが、怖くて口に出しては指摘しない。
「リボーン。こんな早い時間にどうしたんだよ…」
もちろん本当はまだ眠いので、ろれつが完全には回らない言葉をツナは出した。
大体、いつも目覚まし時計程度では起きはしないのだ。
朝食の準備が整ったということで、母親である奈々が起こすまで基本は目覚めをしないので、はふっと欠伸をしそうなのを寸前で噛み殺す。
ここで安易にしてはまたリボーンに小言を言われるに決まっているから。
「今日から新しい修業を始めるぞ。」
早くしゃっきり起きろと言わんばかりに、面と向かってリボーンは告げた。
にやりと不敵な笑みが似合うのが悔しい。
「えーーー!」
ああ、これはある種の死の宣告と同じだと悟りながらも、やはり盛大に驚きの声は出る。
最近は危機的状況ではないと思っていなかったのですっかり油断していた。
今度はどんな無理難題をふっかけられるのかと頭が痛い。
特訓?修行?もう、何でもいいが、こういうひとくくりをされるものがツナに対して向けられると、ろくなことがあった試しがない。
リボーンとしては、ツナを立派なマフィアのボスにしようとして、試行錯誤してくれているとても良い家庭教師のつもりなのであろうが、本人の認識はとても間違った方向を向いているため、ぶっちゃけツナ自身の気持ちは微塵も考えていない。
この際だから、はっきり言おう。
今まで一言だってツナは、自分がマフィアのボスになりたいなんて言ってない。
いつも全力で拒否をしているというのに、見事にその言葉は右から左へスルーされているのだった。
「で、また今度はどんな修行を思いついたんだよ…」
覚悟してあきらめムード満載を露骨に出して、聞いてみた。
よく考えたら宣言されて始まる方が心の準備が多少出来る分、まだマシなのだから。
今までの嫌な思い出の中では、朝起きたら断崖絶壁の谷底にいました。とかナチュラルにあったから、本当にこの家庭教師と付き合うと並みの心臓では生きていけない。
「とりあえず、これだ。」
どこからともなく現われた分厚い本と思われる物体を、リボーンはツナ向けてぽーんと投げた。
慌てて反射的に両手で受け止めてぎりぎりのナイスキャッチとなる。
予想以上に重かったので、一瞬本の方へ体重が傾いた。
間違って角なんかが足の上あたりにでも落としたら軽く致命傷だ。助かった。
「これ、何?」
手渡されたのだから自由に見て良いのだろうと思い、ツナは受け取った本の中身を確認することにした。
15センチ以上は有りそうな厚みの本は、黒革の重厚なケースに包まれていた。
そこから取り出して本を開くと中をパラパラとめくる。
体裁を見てだけの甘い印象だが、どうやらこれは何かの辞書っぽい。
最初は英語か?と思ったけど、馴染み薄い単語の羅列からして多分違うだろうなという検討は付いたが、肝心の内容自体は一向にわからないでいた。
「見てもわかんねーのか?イタリア語の辞書だ。」
「わかんないよ!」
当たり前だという顔をするリボーンに対して、ツナはすぐさま言葉を返した。
同時に、少し目の前が暗くなった。
なんだかこの先言われることが少しわかるような気がしてきたから。
普段は影を潜めているのに、こんな時にばかり冴えわたってしまう超直感が憎い。
ちょっと待って欲しい。
まずツナは日本人だ。それも生粋の。
この際、本当はボンゴレ初代(イタリア人と思われる)の血が混じっているなんてこと言われても、そんなことはリボーンが来るまで誰も言わなかったのだから、今までは日本人だと信じ込んでいた。
それに混じっていたとしても、ひいひいひい祖父さんの血なんて僅かなものだろうと、冷静に思っている。
そんなツナが、初めてマトモに知っている外来語は英語だ。
中学一年生から学校で習っている言語だ。苦手だ。それきりだ。
今まで海外旅行の経験もないのだから、イタリア語なんて「チャオ」ぐらいしか知らない。
それもリボーンが口癖のように言うから、自然に覚えたというとても低次元なレベルなのだ。
つまり興味がない。勉強も嫌いだ。
この公式から導かれる物って決まっていると思うのだけど、相変わらずリボーンはツナの気持ちなどお構いなしに話を続けようとする。
「オレが自ら選んでやった教材だ。喜べ。」
どうしてここまで自信満々に言えるのだろう。
ツナがリボーンの本当をわかる日はないと、この時確信的に思った。
「はぁ…わかったよ。ありがとう。で、これどうすればいいんだよ?」
「ボンゴレ10代目としてイタリア語が必要なことぐらい、言わなくてもわかってるだろ?」
つまりこれとお付き合いしろということですね。はい、わかりました。
無言ではない確実な威圧をツナは受けた。
「ところで、まさか辞書を丸暗記しなくちゃ、いけないのか?」
重みと厚さにげっそりしながら恐る恐るツナは聞いた。
リボーンのことだ。それくらいは言いかねないから先に予防線を張っておく。
「そんな、つまんねーことやらせるわけねーだろうが。そのうち、やる事はわかる。」
相変わらずアバウトな物言いをリボーンはした。
「ツナー、リボーン君。朝ごはんが出来たわよー」
話の続きを聞こうとした矢先、階段下から聞こえる奈々の声。
もうそんな時間になるのかと、はっとツナは時計を見た。
随分と話し込んでしまっていたようで、いつも起きる時間の少し前を長針が指していた。
そろそろ学校に行くために制服に着替えないと不味いと思っている中、リボーンはさっさとツナを置いて一階へと降りて行ってしまった。
その行動にツナは、拍子抜けをした。
珍しく厳しいことを言わないので、もしかして今回の修行は案外簡単なのか?と思うほどに。
「だったら何で早く起こしたのかな………ま、いいか。」
いまいちリボーンの行動がよくわからなかったが、それはいつものことでもあるので、深く考えようとはせず、とりあえず手短に準備を整えてから、ツナも朝食を取りに行ったのだった。
朝食を取って、顔を洗って、制服に着替えて…そんな当たり前な学生生活を送るための朝の準備をこなすと、出発だ。
「行ってきます。」
朝っぱらから何だか疲れることが満載であったが、気をとりなおして、仕方なく学校に行く。
玄関で見送る奈々にそう一言告げて、ツナは家の門を潜った。
「あ、獄寺君。おはよう。」
揺らめく煙が風に乗る前に、ツナの言葉を受けて獄寺はタバコを消した。
獄寺がツナと一緒に登校しようとして、門の前で待っているのはいつもの光景となっていたので、別段何も思わない。
だから今日もツナはいつものように朝の挨拶をした。
ツナの姿を見た獄寺は、嬉しそうに犬が駆け寄ってくるかのように、こちらへ急いでやってきた。
そして…
「Buona mattina. Sta bene oggi.」
何かが耳に届いて、それを発しているのは、目の前にいる獄寺であるツナは認識した。
にかっと良い笑顔を見せてくれて、それはまるでいつものように返事を返しているように思えた。
だが、実際は何を言っているのか全く分からない。聞き取れないのだ。
「ど、どうしちゃったの?獄寺君??」
首を傾げる暇もないほど耳慣れないので、ツナは疑問の声をあげるばかりだった。
「Proviamo sodo studio nuovo da oggi.」
呪文をささやかれるかのように、決定的に続く獄寺の言葉。
あくまでも、未知の言語が繰り広げられる。
それは、カバンの中に詰め込まれた先ほどの辞書が、本来の重さ以上の重量を示した瞬間でもあった。
絶対忠誠 2
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